第4回 「BLACK LAGOON」―B級世界に彷徨う日本人―


ブラック・ラグーン (1) (サンデーGXコミックス)
作者:広江礼威
版元:小学館
連載:サンデーGX


大雑把なあらすじ。黒人の大男ダッチに気の短い中国系アメリカ人女レヴィ、そしてバックアップでハッキングもこなすベニー。この三人の仕事はクライアントの求めるものはなんでも見つけ出し運ぶ、運び屋だった。サラリーマン生活に嫌気が差した岡島緑郎ことロックは、ひょんなきっかけで彼らの仲間となることを選択する。ロックは特殊部隊上がりの女マフィアやショットガンを仕込んだ日傘を使いこなすメイドや殺人狂の双子や武器密売を行うシスターや全共闘崩れのテロリストやら*1が跋扈する闇の世界の住人となる。


唐突ですが「処刑人」*2という映画をご存知でしょうか。かいつまんで言えば、ささいな喧嘩で死が目前に迫ったある敬虔なカトリックの兄弟が、神の啓示を受けて相手を殺して生き残る。そして、その啓示は悪を滅ぼせというもの。この二人の兄弟は何をするかといえば、本当に悪=街のマフィアを銃で皆殺しにして回る。しかしこの兄弟の犯行を疑う人物が一人だけいた。彼は有能でゲイな刑事だった……というお話です。


このあらすじを聞くか、もしくは実際に映画を見て、「だから銃社会はダメだ」「カトリック、ひいてはキリスト教徒はバカだ」「なんで市井の兄弟が銃を見事に使いこなすんだ」「悪を暴力で裁いていいのか」と思う人。そういう人は向いてないんです。じゃあ、どんな人が向いているのか。「左手に持ち替えた拳銃から、イジェクトされた空薬莢をそのまま右手でキャッチかよおおお!」と身もだえする人です――そのほかも見所となるべく作られた銃撃シーンは沢山あります。命のやり取りをしているシーンに出てくるくだらない会話や、そのくせ友情に篤いところとかでもいいかもしれません(主役二人の男前加減にハマってもいい)。


なんで「処刑人」を引き合いに出したかというと、素晴らしいまでにB級アクションだからです。無茶苦茶な設定、燃える銃撃戦、素晴らしくイカレたキャラなどなど。凄くB級アクションしてるわけです*3。殺し屋になった悲哀とかそういうのは「ミュンヘン」とかああいうのでいいんです。そして、「BLACK LAGOON」もまたこういうB級アクションであります。


それを証明するように、作者はインタビュー*4で「基本的には洋画みたいなセリフと馬鹿なアクションを楽しんでもらえれば、それが一番いいですね」と話しています。モチベーションにあるのは、腐敗した町や暴力がなくならない世界の悲哀や人が人を殺すことの重みではないのです。そして、そういう「上等なもの」から遠いところにある点、それこそが愛すべきB級感をかもし出しています。


また、この作品は自分の手元にある5巻までで見る限り、一人たりとも善人がいない*5。というよりも、それぞれがそれぞれの言い分で悪人をやっているだけ。ラグーン商会もホテルモスクワも三合会もネオナチも双子もですだよねーちゃんもタケナカも、誰も彼も自分が悪の側にいることを分かっている。そして、生き残るのも正義だからではなく、ただ単に殺し合いに勝っただけなわけです。それを作者が徹底しているため、虫酸の走るような綺麗事が出てこないわけです。例外が生じた瞬間魅力を失ってしまうからです。


ところが、日本人ロックはその「例外」でした。どこかで日本人らしい綺麗事を捨てきれないロックは5巻までは、甘い面が顔を出し続けていました(少しずつ現実に適応してきてはいましたが)。だけど、仕事で自分の故郷に戻ってきて、すでに自分はもう居場所がないことに気づいてしまいます。ロックはレヴィに、公園で遊んでいる子供たちに缶を実弾で撃ってやれと言い、撃った直後は何かを諦めたような表情をしています。


また、同じ5巻では、女子高生ながら組長にならざるをえなかった雪緒を助けてやるため、雪緒が組長を務める鷲峰組にはこれ以上手を出さないようバラライカに頼みます。そして、バラライカに銃を突きつけられたとき、ロックは笑っています。歯をむき出して。だけど、それはまだ覚悟が決まっていないかったときの、強がりだったように見えます。


再度ロックはバラライカに雪緒を助けるように頼みます。1度目はとは違い、雪緒を助けるためには――暴力が支配する世界から抜け出させるためには、鷲峰組を壊滅させて彼女が戻る場所を奪うしかないとし、それをバラライカに頼みます。複数の人間の死をもって、一人の人間を救うというやり方は「日本人」ロックにはなかった発想でした。バラライカと向きあうロックの目は怯えも虚勢もない、澄んだ目をしています*6バラライカの言うとおり「悪党」になった瞬間でした。暖かい日常から決別した瞬間とも言えます。


ロックは日本人がこのB級世界で生きることになったとき、どうすればいいのかということの答えを出しました。「ひとつの命を救うのには必ず誰かの命が要る」という世界では、その流儀に従うほかないということです。ロックは双子の片割れを救いたいと思ったとき、何も行動しませんでした。ただ「かわいそうだ」「ひどすぎる」と思うだけでした。5巻のヤクザ編を通して幸か不幸かロックは悪党として成長してしまいます。。


ですが、一つだけこの世界で生きる人間にあってロックにないものがあります。それは自分の手で引き金を絞り他人を殺したという経験です(ベニーにもないかも)。そういう意味では、本当にギリギリのギリギリのところでまだロックは踏みとどまっているといえます。彼が今後、どう転げ落ちていくか楽しみでもあります。


(個人的な話ですが、ボストン・テランの「神は銃弾」のコミカライズを広江氏に是非やってもらいたかったりします)

*1:知らない人のために言うと全部マジです

*2:1999年公開。ショーン・パトリックフラナリー、ノーマン・リーダスウィレム・デフォー出演

*3:感覚がつかめない人は「必殺処刑コップ」で。すいませんもっと分かりませんか。

*4:詳しくは http://www.toranoana.jp/torabook/toradayo/ncomic28.html を読んでください

*5:こういうノリは「ドーベルマン」という愛すべきB級映画と親和性が高いと思います。

*6:基本的にベタで塗りつぶされていたロックの瞳が、ベタとトーンの二種類で描かれています。また、瞳の大きさもラグーン商会に入ると決めたときやレヴィと衝突したときなど何か強い思いを秘めているときと比べ、大きいのも特徴です