第3回 「げんしけん」―ユートピアの向こう側―


げんしけん(1) (アフタヌーンKC)
作者:木尾土目
版元:講談社
連載:月刊アフタヌーン


再録してそれでというわけにもいかないので、「げんしけん」をやってみようと思い立つ。一部の世界では「くじびきアンバランス」アニメ化ということが一番話題かもしれない*1けど、まあここでは「げんしけん」について。


ざっとあらすじを説明すると、ヌル〜いオタク*2だった笹原が大学入学と同時に、現代視覚文化研究会(大雑把に言えば90年代のオタクカルチャー全般が好きな人のサークル)に入部する。そこ出会ったのが、イケメンにも関わらず高濃度のオタクである高坂。その高坂の彼女だがオタク文化には全く興味のない春日部。金は全てオタクグッズに流れる二代目会長の斑目。絵を描くのが得意で気は小さい久我山。コスプレとプラモデル制作が得意な田中。帰国子女で巨乳でコスプレ好きでやおい好きな大野。オタク嫌いなのに腐女子という複雑な背景の荻上。という面々。彼らと繰り広げるオタクライフをきっちりかっちり4年間お届けしているマンガです。


とここまで頑張ってあらすじ書いたくせになんですが、これはオタク世界を描いたものよりも、オタク世界で楽しく生活している大学生を描いたマンガです。たとえば、農大で菌を研究するゼミとその周囲の人々との生活を楽しく描いたマンガがあったとして(ちゃんと分かってますよちゃんと)、そこでは菌を分類したり、実際に酒を作ってみたりするわけです。この場合の菌を分類することはアニメ感想会議に、酒造りを同人誌制作に置き換えてもいいし、菌に関する知識はオタク知識に置き換えられうるわけです*3。ただ、一点オタクというのは何かと金がかかる生き物だし、別に趣味は学業でもなんでもないという違いはあります。


だけど、そのオタクであるという一点が、さらにこのマンガを魅力的なものに押し上げている面はあります。たとえば、春日部は高坂のオタク趣味を止めさせたいのだけど本人には止める気配が全くない。というところからコミケにサークル参加するために会員一同頑張るという話まで。全てオタクにまつわる話として進行するだけに、一般人とはまた違う生活スタイルが描かれ、そこで活き活きとしてる登場人物が面白いわけです。また、各人に強い分野があって、それに対して無駄だけど微笑ましいこだわりがあるのも面白かったりします。キャンパスライフを描いた青春ものとしても面白いし、一つのオタクのユートピアを描いた楽しさもある思います*4


とまあ、ここまでは面白い点を書きましたが、少し引いた目で作品を眺めてみようと思います。ここからはネタバレしてるので、何も知らないまま読みたい人は読んでみてから、ここに戻ってきてください。


※大したネタバレではないですが、8巻に収録される内容にも触れています。単行本派の人で先を知りたくない人は読まないようにしてください。最終巻を買ってから読んでください! 絶対に!


さて、この作品は斑目という一人の人間が重要な存在です。影の主人公は間違いなく斑目です。実のところ彼は、サークル内で何かをしたかと言えば、特に何もしていません。笹原は会長としてサークル参加を目指し、春日部と大野も同様にコスプレで貢献し、久我山荻上は絵を描くことで貢献します。さらに言えば、斑目は何かを作るというシーンはありません。オタクとしてサークルに所属している人間では斑目のみです。それでは彼は何もしない無用な人間だったのでしょうか。作品内ではそうかもしれません。ですが、作品全体では決してそうではありません。


彼は現代視覚文化研究会というサークルとそこにいる人間が好きなだけで所属しているわけです。そして、同じサークルにいる彼氏持ち(しかもベタ惚れ)の春日部を好きになって、彼女と一緒にいたくてサークルに所属しているわけです。そして、斑目は大学から10分しか離れていない場所を就職先に選びます。社会人になってからも、部室に通い続けます。自分の趣味を分かってくれる仲間と自分が好きな子がいる部室に。


彼は自分の趣味を分かってくれる友人のいるユートピアから抜け出すことができませんでした。久我山と田中に比べて、卒業後の登場回数が多いことからもうかがえます。さらに、そのユートピアには春日部もいるわけです。最終話から2話前の48話、彼は春日部と部室で二人きりになったとき、斑目は全てを打ち明けようとします。鼻毛が出ていたことを見てしまった以上に、どうせ振られると分かっているけど自分が好きだということを。結果、それを伝えられない。


この後49話では春日部も参加する撮影会(ただし男子は見れない)を冷やかしに斑目も来ます。しかし、撮影会が始まると斑目は一人キャンパスをあとにします。後日、大野から内緒で写真をもらおうとするけれど、春日部にばれてそれもうやむやに。長い説明でしたが、ここからが重要なんです。


写真を見せることに対してブチ切れる春日部を尻目に、照れくさそうな顔をしている斑目のコマが入ります。続いて、営業に回る久我山、専門で勉強する田中、一足先に働いている高坂のコマがそれぞれ入り、最後にくるのは何かを吹っ切ったように口を引き結んだ斑目の表情が! そして部室棟と「ははっ」という写植のあるコマ。そして、キャンパス全体を引きで描いたコマが入り、卒業式の大ゴマです。


進路に進むということは当然卒業を意味します。進路の決まった3人はそれぞれの進路先の風景が描かれているのに対し、その後描かれる斑目の表情は何か決意したことをうかがわせる*5表情です。その後には楽しかった学生生活の象徴である部室棟と心の中で笑った*6斑目の声。続く引いた部室棟はそこから「本当に卒業した」ことを意味しているように思えます。


49話はスラムダンクばりに吹き出しもモノローグもない絵だけの話でした。その中で、斑目が学生生活に踏ん切りをつけたことを示すのが卒業式の最終話です。後輩の卒業式に駆けつけた斑目ですが私服です。休日に卒業式が行われたのかもしれないし有給を使ったのかもしれないけど、仕事を辞めたのかもしれません*7。そして、春日部とは会話するコマもありません。


オタクということは全く関係なく、キャンパスライフというひとつの青春時代を描く作品として、サークルと好きな子から卒業する斑目が一番それを体現しています。彼にとって行事としての卒業式は意味を持っていなかった。彼は自分の意思で卒業しなければならなかったわけです。荻上よりも笹原よりも誰よりも成長したのは斑目だったかもしれません。だからやはり斑目は必要な存在でした。


本当は荻上の過去話につっこんだりしようとしたんですが、野暮なことは抜きにして、斑目にしぼりました。とここまで書いたんですが、斑目はこうであって欲しいなという願望に基づいた分析なので斑目はこのままサークルから離れないかなあとも思います。でも彼の人生に幸あれ! 

*1:というかアレをアニメにしてどうにかなるのか。作者がかかわっていればいいというものなのか。くじアンってそんなに面白いもんか? 等々色々な意味で楽しみでもあります。

*2:ヌルいヌルくないの基準って何よ? と言われた単純になんとなくマンガやアニメが好きとかそれくらいのオタクと考えてください。入学前の笹原と同じ状態の人ということです。

*3:この作品には教師がいませんが

*4:世代によっては「究極超人あ〜る」よりもこちらが親和性が高いかもしれません。自分もこっちだと思います

*5:当たり前のことですが、彼一人だけが大学に遊びにきている状況です

*6:写植はモノローグと同じタイプで太いものであることから推測できます

*7:サークルからも春日部からも本当の意味で卒業してしまった斑目には大学から近い勤務先にいる意味がないですから。